この時、私は34歳ぐらいだったであろうか。

親父が45歳の時に生まれた私、よく孫に間違えられたものだ。

「お前んとこのじいちゃん元気やなー」

商店街育ちの私はお客さんや友達からもよく言われたものだ。

後に商店街や農家のおじさんたちと町の集まりで飲んだ時の話では

「お前んとこの親父はえらい儲かりよったみたいで金遣いも荒かったもんねー!!」

「若い頃はアメ車に乗って、九州では一台しかないとかなんとか言いよったバイ!!」

「志村けんと同じもんらしいぜ!!」

という話を聞いた時には驚いた。

私が実家に帰ってきたころには借金だらけで返済にも苦労していたのに。。。

そして母のほうはと言うと、毎日パチンコに行くような人だった。この時ですら毎日のようにパチンコに行っていたようだ。

毎日17時から22時ごろまでまるで仕事のように日曜日を除いては行っていた気がする。

もしかしたら、いやもしかしなっくても借金の大半はこれに問題があったのではないかと思う今日この頃だ。。。

そして私には9歳離れた兄がいたが

仲が悪くこの時は連絡先どころかどこにいるかも知らないような状態だった。

ちなみにこちらもかなり金遣いが荒いようで、若いころにかなり奢ってもらったという話を聞いたことがある。

20代前半の若者が一回20万も30万もつかって遊んでいたらしい。。なんとうらやましい。

私の記憶によるところ25歳ぐらいで親からNSXをかってもらって乗り回していたのは間違いない。

恐るべしバルブ・・・

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